* 実弟の桑田泉は兄と同じくPL野球部出身で、青山学院大学で教員免許を取得したが、現在はプロゴルファー。
* 高校進学後はパーフェクト リバティー教団を信仰するようになり、小遣いの殆どは御布施に回していたという。試合中はユニフォームの下にアミュレットを忍ばせていた。プロ入り後も経典を読むのを日課にしており、入団当初のバッシング時、心の支えにしていたという。
* 投球前にボールに向かってお祈りをするのは有名であるが、当初はボールに向かって何をぶつぶつ言っているのかと話題になった。
* 様々なトレーニングを実践することでも知られ、2001年オフには甲野善紀の武術を取り入れた。
* 趣味はピアノ、ワイン、英会話。英会話は独学で英語が喋れるまでになった。ウォーレン・クロマティやビル・ガリクソンとの友情も有名で、特にガリクソンは息子のミドルネームに“クワタ”の名を付けたほど。余談ではあるが、クロマティは息子にオーの名前を付けている。
* 自主トレは毎年、彼を慕う後輩らとともにオーストラリアのケアンズで行っている。三澤興一や岡島秀樹など、桑田を慕ってともにトレーニングを行う選手は少なくないが、かつてその中には韓国人投手の趙成aも居た。趙も同じく右肘を手術した経験を持ち一時は自暴自棄にもなりかけたが、桑田から「リハビリをすれば必ず良くなるから」と促されトレーニングを続けた。残念ながら巨人ではその後僅か2勝しか出来ずに一度は引退したが、2005年シーズン中に韓国で現役復帰。「桑田さんは尊敬できる人」と語っている。
* 1999年と2000年にはジャイアンツの選手会長を務めた。
* 人の名前を覚えられない事で知られる長嶋茂雄を語るときに桑田が「くわだ」と呼ばれていたという話がよく持ち出される。
* PL野球部の先輩で、大学時代に試合中に不慮の事故で首から下が不随になった清水哲の支援を、清原らとともに現在も続けている。
* 自身のホームページ「PICHEO DE CORAZON」(ピチェオ・デ・コラソン=スペイン語で心の投手の意)を持っている。その内容の多くは、ファンクラブに入会し、会費を支払わないと閲覧が不可能となっている。
* ノーヒットノーランに抑えられた中日の近藤真一投手から巨人で初ヒットを放ったのは桑田である。しかもレフトスタンドへのホームランだった。
* 1991年に義兄(当時、現NPO法人「夢空間21KIDSプロジェクト」代表理事)が莫大な借金をし、連帯保証人として桑田はその肩代わりをしていたが、2002年の活躍でオーナー渡辺恒雄によって解決された。
* 不振に終わった2005年には、当時の巨人軍監督であった堀内恒夫に「俺は晩節を汚さなかった」と引退勧告ともいえる発言を受ける。
2007年06月27日
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